「わかった」と「できる」の間にあるもの
理解することと実行することは別のスキルで、その溝は思っているより深い。
何かを学ぶとき、「わかった」という感覚が訪れる瞬間がある。説明を聞いて、本を読んで、「ああ、そういうことか」と腑に落ちる、あの感覚。
でも「わかった」は出発点であって、ゴールではない。
パワーリフティングを始めたとき、フォームの解説動画を何十本も見た。頭では理解できた。でも実際にバーを担いでみると、理解していたはずの動作が全然できない。「わかっている」と「できる」の間には、身体が慣れるための時間と反復が必要だった。
これはスポーツに限らない。仕事でも、コミュニケーションでも、同じことが起きる。フレームワークを理解することと、それを実際の文脈で使いこなすことは、まったく別の話だ。
「知識の呪い」という概念がある。一度知ってしまうと、知らなかった状態を想像できなくなるというやつ。それと似たような罠として、「わかった気持ち」がある。理解の感覚が満足感を生み、そこで止まってしまう。
本当に「できる」ようになるには、わかった後にもう一歩踏み込んで、実際に手を動かしたり、失敗したりする必要がある。その過程は地味で時間がかかるから、つい「わかった」で満足したくなる。
でも結局、「できる」にしか意味はない。
今日もジムで、頭では知っているはずのことに身体がついてこなかった。悔しいけれど、それが正しい状態だと思う。